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2001/3/20 火曜日

銃の前での人の無力を知る…。(2001東南アジアの旅)

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2001年の春、卒業旅行として東南アジアに行きました。(とはいえ私は留年し、この年には卒業していませんが)

 

【行程】 日本 ⇒タイ・バンコク ⇒カンボジア ⇒バンコク ⇒インドネシア・バリ ⇒バンコク ⇒マレーシア・マラッカ ⇒シンガポール ⇒帰国

サークルの友人日本から出発し、そのあとゼミの友人とバンコクで待ち合わせ、カンボジアに安くいけるので急きょ向かい、さらにはまた別のゼミの友人とバリで落ち合い…。ということでなんか複雑な旅行日程になりました。基本的にはバンコクを拠点にして東南アジア各国をまわり、最後に鉄道でシンガポールに向かい帰国という流れです。 

ハイライトはカンボジアでしょうか?アンコールワットにタイから陸路で向かったのですが、途中、橋が落ちてるわ、銃を持った人に囲まれるわ…。そのあとみたワンコールはとても平和でした。詳細は続きで…。

まず最初にバンコク。基本的にはカオサン通りの安い宿に。確かこの部屋は5人で1000円くらいでした。もちろんトイレ共有、風呂なし(シャワー)。温かい国なのでシャワーは水。でもそれよりも、トイレ(大)の時に、桶の水で洗うというのがカルチャーショックでした。ま、平気でしたが。

当時はこういう旅が流行っていました。猿岩石のおかげで若者は皆バックパック背負って発展途上国に行ったものです。『ツアー』なんて男の子が口にしてはいけないことでした。まだ世界は平和だったのです。

バンコクでノンビリ観光。チャオプラヤー川に行ったりマッサージに行ったり。飯・ビールが50円くらいなので飲み食いしまくりでした。骨の髄までたるむことが出来ます。

そんなこんなでノンビリしたのち、サークルの友人が南部へ行くのを見送り、ゼミの友人と待ち合わせ。『カオサンの○○カフェで!』と出国前に約束していましたが、ホントに会えるか不安。なんせ時間は指定できませんでしたから。私はカフェで朝から待っていましたが、友人と無事会えたときは結構感動!携帯もなく異国の地で待ち合わせってドラマチック。

そして二人でどうしようかなんて話していたら、同じ宿の新婚ドイツ夫婦(ハネムーン!)が『カンボジア安く行けるよー』と言っているのをきき、カンボジアへむかうことに。当初、まだ危ないから空路のみと聞いていて、空路だと予算オーバーということであきらめていました。でも陸路で2,000円くらいで行けるとのことで、勇んで出発。

しかしこれがなかなかのアドベンチャー。まず、タイ国境からアンコールワット直近の街シェリムアップまで、トラックの荷台。しかも普通のピックアップトラックの荷台に14人くらい乗せられ、何やら荷物まであるので、荷台のヘリに腰かけなくてはいけない。しかも道は深さ30㎝くらいの穴がずっと続くデコボコ道。最初はカッコいいかな~なんて思っていたけど、ものの1時間で後悔。ま、5ドルとかだからしょうがないんですが。

さらには、途中、橋が落ちていて、みんなで木材探し。私も探そうと藪の方に向かうと

「オイ、止まれ!地雷踏むぞ!(英語)」

なんて言われてゾッとしました。聞いてはいたけど、そこまでとは。藪に気軽に入れないってホントに非人道的と痛感。結局、道端の安全なところで枝を探してきて、みんなで車を手押し。2時間くらいかかったでしょうか。

 

 

そんなこんなで夜になってしまい、さらに事件。急に車が止まったので道端を見ると、

銃を構えて怖い顔している集団に囲まれていました。

「強盗か?」と焦っていると、銃をもった一人が「降りろ!」と怒鳴ります。不運にも私が一番近くに坐っており、私は銃を前にして従わなきゃヤバいとの一心で慌てて荷台から降りました。すると同乗していたアメリカ人のヤツが「降りんな!戻れ!(英語)」と私をさらに怒鳴ります。「え、え、どうすりゃいいの?」みたいな感じで焦る私。でもあまりのアメリカ人の剣幕にまた車に戻りました。多分3秒以内くらいです。かつ相当無様に。どうやら旅行者が荷台の上に居る限り、ある種の紳士協定で手を出さないらしい。アメリカ人に「さっきそう説明があったの聞いてたろ?」と言われましたが、

銃を突きつけられたらそんなことを思い出すのは、ムリ。

アメリカ人は銃に対して落ち着いているな、と思いましたし、心から頼もしく見えました。結局、1時間ほどその場で待たされましたが、どうやら後でわかったのは、私達の乗った車のドライバーは麻薬かなんかの運び屋だったようです。何やら積まれていた荷物がそっち系のシロモノのようです。あくまで推測です。荷台の人々で「小麦かな?」とか話していましたが…。むしろ銃を持っていたほうが自警団のような組織のようでした。詳しくは最後までよくわかりませんでしたが、ドライバーは金を渡して難を逃れたようです。私達は完全なとばっちり。囲まれていた1時間は「本当にここで終わりかも」と死をも意識した最悪の時間でした。結局シェリムアップには深夜1時頃到着。グッタリ。

でも、そんなことがありながら、アンコールワットは素晴らしい。来た甲斐がある場所。悠久の時の流れと人の営みを感じ、敬虔な気持ちにさせてくれます。

 

 

そして帰り。また事件。カンボジアからタイへの国境は陸路なのですが、現地の人はホイホイ手続きなしで出入りしています。私自身は陸路の国境が初めてということもあり、少し浮かれていたのでしょうか。行きのトラック会社のオフィスで知り合った17歳くらいの少年と仲良く話すうちに、そいつが「先に国境わたって、バスの席取っておいてやるよ。チケット貸しな!」と言うので渡してしまいました。イミグレーションを通り、タイ側に行くと、そいつは消えていました。やられた・・・。

カンボジアの思い出が最後に全てぶち壊された気分になり、怒りのあまり「探そうぜ!日本人が舐められる」となり、2人で国境の街を1時間以上探しまわりました。そしたらプラプラ歩いているヤツを発見。後ろから捕まえ、「チケット返せよ」と言いました。もちろん「知らない」と。私は切れました。そいつを坐らせ、説教を始めました。多分1時間以上。

「そんなことじゃカンボジアは途上国のままだ」

「お前、さっきカンボジアを日本みたいにしたいって言ったよな?人をだます国がなれるか!」みたいなことをありったけの英語でまくしたてました。するとそいつは謝り、チケットを返してきました。そして私達をバスまで送り「メールアドレス教えてくれ、マイフレンド」と言ってきました。改心したのでしょうか?それとも面倒だと思ったのでしょうか?私はメアドを教えましたが、メールは来ていません…。

その後私達は、バリでリゾート気分を満喫し、再びタイに戻り、マレー半島縦断の列車の旅となりました。列車の旅は快適でした。きれいです。まわりの乗客とも和気あいあい。夜行でノンビリ行き、目的地には16時間くらいでつくはずでした。ところが、またぞろトラブル。今度は電車が止まりました。前触れなく、約6時間。最初は「アジアタイムだよ」とか言っていた私達も、さすがにヒマになり車掌に「どうしたんだ?」と聴きました。車掌は一言。「Trouble. Wait a minutes.」

いやいや、Minutesで6時間はないだろ…

とは思いましたが、ここはアジア。私達も慣れっこでした。電車から出れないのでヒマではありましたが不思議と怒りはない。大きいな、アジア。でも結局、終点まで行けず、これまた無言で途中駅で降ろされました。見知らぬ街に夜中。しょうがないのでバスを探しマラッカへ。前に進まない電車で快適な一泊。それからお尻の痛いバスで一泊。今なら無理ですね。

でもマラッカ海峡の夕焼けはきれいでした。世界一キレイとの旅人の噂をききいったのですが、雄大。タンカーの行く海峡に陽が落ちる。トラブルはあってもそのあとにこういうご褒美があるから旅はやめられない。

旅は終盤。マレーシアの最南端の町、あのジョホールバルから橋を渡るとシンガポールです。「マーライオンしょぼ!」などと呟きながら、シンガポールをしばし観光し、旅の名残を惜しんでいました。しかし最後の最後、まだ事件はまっていました…。

私の帰国の飛行機は朝5時発だったので、最後の夜は徹夜で時間調整することにしました。(友人は午後便だったので寝てた)安宿の共有スペースで本を読んでいると、黒人の男がビールを抱え近づいてきます。「マイフレンド、飲もうぜ」と。酒は寝ちゃうからまずいかな~と思いつつ、フランス人の黒人は初めて話すので興味もあり、付き合うことに。ところが彼はほとんど英語を話せません。

「I.. I…? Yo…You…. DrinK !」

みたいな感じで、私とあなたも間違えたうえに、上手く話せないもどかしさを、迷惑なことに「飲め!」の一言でまとめて押しつけてきます。ビールならと思っていましたが、なんと気の利くきれいな彼女さんが「ビールだけじゃたりないっしょ?」みたいな感じでウイスキー持って参戦してきました。彼女の方は英語を喋れたこともあり、話も盛り上がり、結局朝まで飲みべろんべろん。

 

私はお開きになった後、友人をたたき起し「申し訳ない、空港に連れて行ってくれ」とお願いしダウン。

気づいたら飛行機のトイレで外からどなり声。

どかどかドアが叩かれる音で起きました。朦朧としつつ出てみるとアテンダントが怒り心頭。どうやら離陸を遅らせてしまったようです。状況がよく飲み込めない私。席に着くと、隣のカップルが白い目で「酔っ払いだよ…」と囁いてます。えー、聞こえてます。どうやら中国人と勘違いしているようでしたが。私は、でもすぐに眠りに落ち、再び気付いた時は成田上空でした。何回も飛行機に乗っていますが、未だかつて体感時間では最短のフライトでした。気分的にはシンガポールからワープした感じでした。

 

あとで、友人に聞くと、空港では酔っていたが、搭乗する瞬間は結構しっかりしているようだったとのことでした。いやいや記憶はありません。無意識で出国審査や保安検査を通ったのです。あの頃の世界はまだまだ平和でした。

帰って写真を現像すると、最後のホテルで出発前の写真を撮っていました↑。これ結構しっかりしてるように見えますよね。でも酔っているはず。この後酔いが回ったのでしょうか?不思議です。とにもかくにも、色んなことを感じ色んな体験をした、本にかけそうな旅でした。

実は、この旅行で私自身、政治家を目指すことを心に決めたのです。思い出いっぱいの旅です。