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2011/4/10 日曜日

政治家を志したきっかけ/小林知久・東大和市

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小学校6年生の誕生日(1989年11月10日)、学校から帰った後の夜のテレビでしょうか。“ベルリンの壁崩壊”のニュースが大きく流れていました。たまたま、“産まれた日に何があったか”といった話を学校でした後の最初の誕生日だと記憶していますが、私の中でなんとなくニュースを楽しみにしていて、その日に偶然大きな世界史的なニュース。

現地の人々の興奮を何か特別な気持ちで見つめ、私自身、非常に興奮した記憶があります。それが私の“社会”へ興味を持った最初の記憶です。(壁の崩壊は厳密には11月9日深夜。後々知って何か損した気分になりましたが…)

その後、私の中学から高校の時代(~96年)、世界は激変しました。ソ連崩壊などの東西冷戦終結の頃で、“入試で現代史は出題できない”と言われた時期です。先生が「あ、教科書の○○の部分はもう変わってるから気をつけて」と言うのが当たり前のこと。私は、まさに教科書を書き換えつつ、歴史のダイナミズムに魅せられ、将来は“世界”で働きたいと思いました。

 

その後、日本でも社会的に大きな事件がたくさん起こりました。細川政権の誕生、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件…。国際関係や歴史に向いていた私の興味は国内にも向かいました。私は社会で今起きていること全般への興味・意識が強くなり、受験する大学の学部も社会科学・国際関係・政治関係を選ぶようになりました。

大学4年の終わりごろ、東南アジアに行きました(詳細はコチラの記事『銃の前での人の無力を知る…。(2001東南アジアの旅)』をご参照ください)。その中で訪れたカンボジア。

当時、カンボジア内戦終結から約10数年。私はアンコールワットを見に行ったのですが、その周辺では子供・老人・女性ばかりみかけ、20~40代の働き盛り世代はほとんどいませんでした。現地の人に聞くと「内戦で男たちはいなくなった」と言われました。道中では銃にも囲まれました。衝撃でした。

笑顔がいっぱいのこの国の傷跡を目の当たりにしました。そして、高校生の時は教科書の向こう側でしかなかった“世界”に、簡単に立ち寄れる年齢に自分がなっていたことに気付かされました。

そして一方では「勉強してガイドになる」「日本はすごい国らしいな」と10代の子たちが目をキラキラさせて言う。そして手法を知らないで詐欺まがいのことででも生活費を稼ぐ必死さ。何かしてあげたい気持ちが強烈に湧いてきましたが、何もできない自分。

「ただの観光客ではいたくない」

この思いを抱え、帰国後もともとの私の志向を振り返った時、政治家を目指すことに心が決まりました。単なる“社会への意識”から“政治家をめざそう”へと変わった瞬間です。