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2011/4/11 月曜日

東日本大震災から一ヶ月/私の人生、無礼のお詫び

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東日本大震災の発生から一カ月が経過しました。

改めて、震災でお亡くなりになられた方々へ深く哀悼の意を捧げるとともに、ご遺族の方へお悔やみを申し上げます。また被災された方々におかれましては、一刻も早い復興を心より祈念いたします。

 

3月11日、世界は変わった、と感じました。

正直を申し上げて、地震が起きてからの数日、地震・津波被害のニュースに対し、私の心は混乱をしていました。身の回りでは帰宅難民の発生や計画停電などが起き、その対処や情報提供などで身体は充分動いていました。ですが、各地で起きた余りの惨状にどう心を処理すればいいのかわからないまま、メディアのニュースを追いかけるばかりでした。

そのような中、日本青年会議所の支援ルートの確立の連絡をもらいました。東大和では市役所も含めまだ誰も支援に動いていない状況。私は東大和での募集活動の開始を理事長と話し、担当となりました。メンバーへの連絡、義援金箱の手配、チラシ作成・配布、街頭活動、物資仕分け、運搬、集積所の手伝い…。

皆さんにお世話になっている選挙の、その準備に心血を注がなくてはならない一方で、この街に住む最も機動力ある若者の一人として果たすべき役割。どちらが大事なのか未だ私にはわかりませんが、身体は目の前にある支援活動に集中していました。

義援金も支援物資募集も、想像以上に多くの方から協力を頂きました。激励や感謝の言葉まで頂きました。「東大和でも誰かやらないのかと思っていました」「何かしたかったけど個人では出来ないと思っていたからありがたい」などと。

 

私は、ふと、苦い悔恨を思い出しました。阪神・淡路大震災の時、当時は高校2年生で、「何かしたい」と思いながら何もできない、何にも踏み出せなかった自分。高校生なのだからしょうがないという慰め、いや何か出来たはずだろうという悔い。やったって意味ないのではないかといった勝手な無力感。

心の隅にある苦い感情の澱は、カンボジアで感じたものだろうと思っていましたが、どうやらその原点は阪神大震災にあったのかもしれません。今回、似た状況の中で気付きました。

 

このあたりで私の気持ちはようやく混乱からの出口が見えました。南相馬市に伺う機会を得たことでよりハッキリしました。やはり私は、実行する側にいたいのだ、と。色々な事情で動けない方もいます。私もそういう時は託すことはあります。でも、私は出来ればどんなに下手くそでも、オブザーバーではなくプレイヤーでありたい。

世の中にある喜びも悲しみも、素晴らしさも悲惨さも、この眼で見て正面から受け止め、身もだえし、微力を尽くし、許されるならば当事者に寄り添う。そういう人生でありたい。

 

来週からの市長選挙に向けて、一般的な視点で言えば、準備万端とは言えません。限られた時間の中で最大限努力しましたが、本来ご挨拶などすべき方への無礼を働いている点などがあろうかと思っています。期待していただいているからこそ受ける、そういったお叱りにつきましては心からお詫びします。

でも、私の心構えとしては万端です。自らがどう振る舞えば、自らの心に照らして真実なのかが明白になったからです。この一ヶ月の私の行動に後悔は微塵もありません。

可能であれば、これが小林知久である、と多くの方にご理解頂ければと思っております。

 

当選するのかしないのか、未だわからないうちにこの文章を記したいと思いました。なんとなく、当選すれば狙った話になり、しなければ言い訳になる気がしました。いずれにしても、ここからの2週間は選挙に集中いたします。やれることは限られておりますが、この東大和をより好き街にするために、そのための機会を得るために全力を尽くします。

 

世界は変わった、と書きました。震災以後、今までの色分けとは違う視点・基準で、その人の人となりを見るようになったことが一番の変化ではないかと思います。亡くなられた方を悼みつつ、この新しい世界がより好きものであることを願い、そうするために、私自身も貢献できるよう努力したいと思います。

 

がんばろう、日本。