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活動News!

2003/3/1 土曜日

南米車イス紀行(2003年春)~ アンデス山中を行く

アンデス山中を行く

アンデス山中を行く

南米車イス紀行(2003年春)~ マチュピチュ遺跡

マチュピチュ遺跡

マチュピチュ遺跡

2003/2/1 土曜日

南米アンデス・車イス紀行~第三篇・車イスは月給何か月分?

リマには深夜到着。

驚いたのは入管審査。
審査ブースの前にボタンがあり、
職員に言われるまま押すと青いランプが点灯。
そしたらなんとそのまま入管は素通り。

つまりボタンはくじ引きで、当たりの人は入管審査なし!
なんてアバウトな…。日本なら絶対ありえない。
しかもイラク開戦が間近に噂されるこの時期。お国柄だろうか。 ちなみに広井さんは赤だったので、結局外で待つことに。
車イス乗ってる広井さんより、よっぽど怪しい人が素通りしてるのに…。至極公平?

外は涼しく、熱帯の気配はない。
迎えに来てくれたマリアとビクトールは
すぐに見つけられた。
2人は東大和に住む友達(在日ペルー人)の両親で
今回、リマでの案内役を買って出てくれていた。

マリアはラテンの女性のイメージそのまま。
感情表現豊かでよく喋る。
ビクトールはインディオの男性のイメージそのまま。
寡黙で穏やかに笑っている。

昼食

ビクトールの車でホテルに向かい、無事到着。
いや~、南米、遠かった。

リマの街

早速次の日からリマでお買い物。
目的の品は消毒用の生理食塩水とビデオだ。
水は重いから、
ビデオはリマで安い店があるらしいからという理由で
もともと現地調達のつもりだった。

リマは想像以上に都会だった。街並みは西洋風で
場所によっては相当おしゃれ。
ファーストフードにも困らない。
あまり豊かでない国と聞いていたので、少し驚く。

私達はまずイラオカという大型電気店に行った。
これまた想像以上に品数豊富だったが
商品は型遅れが多く、値段もあまり安くない。

「安い店あるって聞いたんだけど?」
とビクトールに頼んで
次に行ったのが「コントラバンド」。

コントラバンド

盗品も売られる市場らしく、
賑やかで、当然とても治安が悪そうな場所。
ただでも旅行者は浮く。

その上日本では気づかなかったが、
よく考えたら車イスは結構金目の物。
しかも隠しようが無い。
熱い視線を感じる…。
↓ホテル近辺のちょっと高級な地区

ホテル近辺のちょっと高級な地区

無事ビデオを買い外に出て、
なんだ取り越し苦労かと思いつつ、
ふと見るとビクトールのお尻にふくらみが。

「これ何?」って聞くと
ニッと笑い「バーン」って口真似。
えっと、もしかするとそれは銃…?

つづく・・・

南米アンデス・車イス紀行~第二篇・VIP? それとも…?

出発は2月16日。成田までは車。
電車はバリアフリー事情がイマイチだし、
ヘルパーは2人分の荷物を持つ必要があり
今回のように長旅で荷物が多い時はキツいのだ。
空港の駐車場は4日以上が同料金なので、
車で行く割高感は意外とない。

空港では当初VIP気分になる。
座席は良い場所で、搭乗口までは係員が付き
バリアフリールートを案内。
車イスの人は入国手続の列に並ばず、
すっ飛ばせるのだ。これが相当優越感たっぷり。

でもそれからはマイナスばかり。
例えば機内へは最初に入るので集合が早い。
それだけならまだしも
買い物の間もずっと係りが横にいて
時計を見ている。
遅れると他の客に迷惑だからだろうが
思わずまきたくなる。

また、機内で広井さんの足の支えに
荷物を足元に置く必要があったのだが、
何人もの乗務員に注意されその度に説明するハメに。
しかも日本語が話せない人には英語で。
まだ国内なのに。
忙しいのはわかるが乗務員同士で連絡しろよ。ホント。
極め付きはリマでの降車。
車イス用昇降車車イス用昇降車←
の準備で30分以上
待ちぼうけ。
機内に広井さん1人残して。
私は有無を言わさず
降ろされ滑走路で。

あとで聞くと、掃除の人々の
賑やかなスペイン語の中で
ポツンとほっとかれたらしい。

まあ全て笑い話なのだが。
先が思いやられる…。

つづく・・・

南米アンデス・車イス紀行~第一篇・夢の実現を手伝える幸せ

「ピチャピチャとか言う遺跡知ってる?」
そんな一言から計画はスタートした。
2001年の終わり頃だろうか。
もちろん私は母の言う遺跡が
マチュピチュだということはすぐにわかった。
なにしろ、学生時代以来
ザック背負って貧乏旅行が趣味だった私にとり
マチュピチュはいつか行きたい場所の
ベスト3に入る憧れの地だったからだ。

世界遺産マチュピチュ(ペルー)
★世界遺産マチュピチュ(ペルー)

話はこうだった。
現在車イスに乗る広井さん。
若かった頃はサーフィンのためにホームステイするなど
頻繁に海外に行っていた。
その内に、いつかマチュピチュへ行きたい
と思うようになったが
その後事故に遭い、車イス生活になり
その「思い」は、ほぼ実現しないであろう
「夢」になってしまった。

なぜなら車イスで行く場合、随行ヘルパーは不可欠。
それも海外旅行と介護の両方に相当程度慣れていて
長期の休みを取れることが最低条件となる。
そんな条件に合うヘルパーはほとんどいないからだ。

東南アジアにて★東南アジアにて
バイト代のほとんどを旅に費やした学生時代。
その経験が生きる?
広井さんとの世間話でその話を聞き
母は「あら、すぐ近くにいるじゃない」
と私に思い当たった。
この頃私はヘルパーとして働いており
主に車イスの人の家に派遣されていた。
また、正職員ではなく登録ヘルパーで
いわゆるフリーター。
長期休暇を取れる立場。
学生時代から旅行が趣味で海外経験も多い。
つまり偶然にもこれ以上ないほど
条件ピッタリだったのだ。

車イスの人とマチュピチュに行く・・・。
話を聴いて最初は困難ばかり浮かんだ。
南米の治安の悪さ。
バリアフリーなど望めるべくもない社会状況。
まして「空中都市」マチュピチュは
秘境の部類に入り単独行でも大変な場所。
楽な旅になるはずがない。

でも実は二つ返事で同行を決めた。
理由は簡単。
人生で人の夢の実現を手伝えることなど滅多になく
その幸せは幾多の困難を補って
余りあるものだと思えたのだ。
また、今回のように、何の気なしに積み重ねた
自分の趣味や生活スタイルが
求める必要条件にピッタリだという偶然は
大げさに言えば運命的で
断るという選択肢自体がなかったようにも思えた。

計画は順調に練られ、日程も決まった。
が、その後問題が発生した。
当初、出発は車イスに適した気候を考え
秋だったが(乾季が望ましかった)
広井さんの体調が思わしくなくなり
延期せざるをえなくなってしまったのだ。

10月頃を逃すと、次は2月しかないが
実は私は来たる4月の市議選に立候補を決めていて
2月は選挙直前の大事な時期だった。
そんな時期に日本を留守にしていいのか?
セオリーから言えば選挙を捨てたも同然で
「当選する気なし」と言われてもやむない時期だ。
南米は長時間の旅南米は長時間の旅。
体調万全が必須。

だからと言って、私が行かないとなると旅行は中止。
こんなにピッタリの人がまた見つかるかもわからない。
(準備をする中で、私とはウマも合うことがわかっていた)
「夢」の旅行の目前まで行き、断念。
それはかなう希望すらないことより残酷に思えた。

相当な悩み所だ。
「人生かかっているんだから中止でもしょうがないよ」
と広井さんは言ってくれた・・・。

行くぞ!
結論。
準備が遅れても選挙には出られるが
広井さんの旅行は2度とない可能性がある。
一度は約束して「夢」見させておいて
それはできない。人間として。

そして何より、自分が必要とされ
自分の存在で夢の実現を手伝える幸せ。
こんな経験は2度とないかもしれない。
やはり行くぞ。いざ南米へ。

行くぞ!  行くぞ!

つづく・・・