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活動News!

2003/2/1 土曜日

南米アンデス・車イス紀行~第一篇・夢の実現を手伝える幸せ

「ピチャピチャとか言う遺跡知ってる?」
そんな一言から計画はスタートした。
2001年の終わり頃だろうか。
もちろん私は母の言う遺跡が
マチュピチュだということはすぐにわかった。
なにしろ、学生時代以来
ザック背負って貧乏旅行が趣味だった私にとり
マチュピチュはいつか行きたい場所の
ベスト3に入る憧れの地だったからだ。

世界遺産マチュピチュ(ペルー)
★世界遺産マチュピチュ(ペルー)

話はこうだった。
現在車イスに乗る広井さん。
若かった頃はサーフィンのためにホームステイするなど
頻繁に海外に行っていた。
その内に、いつかマチュピチュへ行きたい
と思うようになったが
その後事故に遭い、車イス生活になり
その「思い」は、ほぼ実現しないであろう
「夢」になってしまった。

なぜなら車イスで行く場合、随行ヘルパーは不可欠。
それも海外旅行と介護の両方に相当程度慣れていて
長期の休みを取れることが最低条件となる。
そんな条件に合うヘルパーはほとんどいないからだ。

東南アジアにて★東南アジアにて
バイト代のほとんどを旅に費やした学生時代。
その経験が生きる?
広井さんとの世間話でその話を聞き
母は「あら、すぐ近くにいるじゃない」
と私に思い当たった。
この頃私はヘルパーとして働いており
主に車イスの人の家に派遣されていた。
また、正職員ではなく登録ヘルパーで
いわゆるフリーター。
長期休暇を取れる立場。
学生時代から旅行が趣味で海外経験も多い。
つまり偶然にもこれ以上ないほど
条件ピッタリだったのだ。

車イスの人とマチュピチュに行く・・・。
話を聴いて最初は困難ばかり浮かんだ。
南米の治安の悪さ。
バリアフリーなど望めるべくもない社会状況。
まして「空中都市」マチュピチュは
秘境の部類に入り単独行でも大変な場所。
楽な旅になるはずがない。

でも実は二つ返事で同行を決めた。
理由は簡単。
人生で人の夢の実現を手伝えることなど滅多になく
その幸せは幾多の困難を補って
余りあるものだと思えたのだ。
また、今回のように、何の気なしに積み重ねた
自分の趣味や生活スタイルが
求める必要条件にピッタリだという偶然は
大げさに言えば運命的で
断るという選択肢自体がなかったようにも思えた。

計画は順調に練られ、日程も決まった。
が、その後問題が発生した。
当初、出発は車イスに適した気候を考え
秋だったが(乾季が望ましかった)
広井さんの体調が思わしくなくなり
延期せざるをえなくなってしまったのだ。

10月頃を逃すと、次は2月しかないが
実は私は来たる4月の市議選に立候補を決めていて
2月は選挙直前の大事な時期だった。
そんな時期に日本を留守にしていいのか?
セオリーから言えば選挙を捨てたも同然で
「当選する気なし」と言われてもやむない時期だ。
南米は長時間の旅南米は長時間の旅。
体調万全が必須。

だからと言って、私が行かないとなると旅行は中止。
こんなにピッタリの人がまた見つかるかもわからない。
(準備をする中で、私とはウマも合うことがわかっていた)
「夢」の旅行の目前まで行き、断念。
それはかなう希望すらないことより残酷に思えた。

相当な悩み所だ。
「人生かかっているんだから中止でもしょうがないよ」
と広井さんは言ってくれた・・・。

行くぞ!
結論。
準備が遅れても選挙には出られるが
広井さんの旅行は2度とない可能性がある。
一度は約束して「夢」見させておいて
それはできない。人間として。

そして何より、自分が必要とされ
自分の存在で夢の実現を手伝える幸せ。
こんな経験は2度とないかもしれない。
やはり行くぞ。いざ南米へ。

行くぞ!  行くぞ!

つづく・・・