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私の人生・メディア掲載

2003/8/8 金曜日

祈念日の被爆地を巡礼して

03年8月6日、私は被爆者でもある父の従兄弟と一緒に
広島平和記念公園に行った。

広島平和記念公園

今年の夏は梅雨が長かったせいか
照りつける太陽が例年より
一段強烈に感じられる。

集まってきた多くの人々の熱気で
さながら祭りのような
賑わいを見せている祈念公園。

その人いきれと喧騒の中で
私の親戚の言った言葉が耳に残る。

「被爆した多くの人にとっては、
今日は身内の誰かの命日じゃろ?

そっと家で冥福を祈りたい
そういう人も多いけん・・・」

公園の外では「小泉帰れ」のシュプレヒコール。
黙祷の間も残念ながらコールは続いた。

8月8日、原水禁の分科会を終え、
私は長崎市内のグラウンド・ゼロに行った。

グラウンド・ゼロ

1年程前、9月頃訪れた際はあまり人もいなかった広場に、
たくさんの客が来ていた。

普段見捨てられがちな場所が、
一年に一度、強烈な思いとともに
人々の視野に入る。

静けさを求める人へ敬意を
忘れてはならない。

が、それでも、
祈念日とそれに伴う喧騒は
なくてはならないものだと感じる。

この熱意こそ、風化を食い止め
将来につなぐ原動力となる。

旅行前は軽症だった足の擦り傷が
広島・長崎の日差しで膿んでしまった。
5㎝四方だけ無防備な神経が太陽に悲鳴を上げる。

当時の人々の痛みの針先ほどのほんの一端を体感し、心に刻む。

原爆で亡くなった人々の冥福を心より祈る。

2001/3/20 火曜日

銃の前での人の無力を知る…。(2001東南アジアの旅)

2001年の春、卒業旅行として東南アジアに行きました。(とはいえ私は留年し、この年には卒業していませんが)

 

【行程】 日本 ⇒タイ・バンコク ⇒カンボジア ⇒バンコク ⇒インドネシア・バリ ⇒バンコク ⇒マレーシア・マラッカ ⇒シンガポール ⇒帰国

サークルの友人日本から出発し、そのあとゼミの友人とバンコクで待ち合わせ、カンボジアに安くいけるので急きょ向かい、さらにはまた別のゼミの友人とバリで落ち合い…。ということでなんか複雑な旅行日程になりました。基本的にはバンコクを拠点にして東南アジア各国をまわり、最後に鉄道でシンガポールに向かい帰国という流れです。 

ハイライトはカンボジアでしょうか?アンコールワットにタイから陸路で向かったのですが、途中、橋が落ちてるわ、銃を持った人に囲まれるわ…。そのあとみたワンコールはとても平和でした。詳細は続きで…。

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1999/8/15 日曜日

名もなき日本の素晴らしさを知った旅(1999関西北陸行)

大学3年の夏休み、2年生・1年生の後輩とともに、愛車オンボロスターレットに乗り、北陸関西をまわりました。  ☆ルート : 東京 ~ 長野(諏訪) ~ 新潟(糸魚川) ~ 富山 ~ 石川 ~         福井 ~ 京都 ~ 和歌山 ~ 京都 ~ 東海道ルートで帰京

 

 結構過酷な旅でした…。  まず、高速はつまらないので、全て一般道。それと、全国の帰省した後輩の実家に出来るだけ泊めてもらい、ダメなら車中泊。そう決めて出発。でも、これがまあ…。 続きを読む…

1998/8/30 日曜日

アメリカのデカさを感じる(1998USA)

(この記事は現在編集中です…)

初の本格的な海外がアメリカ。

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1998/8/23 日曜日

97年台湾

これが初海外です。バイト先の台湾の方の家にお邪魔しました。7日間くらい滞在し、台北・基隆等にいきました。まだおっかなビックリだったなー。

1995/7/18 火曜日

私の気質の8割は高校野球でつくられました

私の中学・高校時代は野球漬けでした。
元々、小学校の頃から、サッカー・バスケ・剣道などをやっていましたが、当時はどうしても野球がやりたかったので、全くの未経験にも関わらず、中学からは野球を始めました。
 

この野球部時代、正直、6年間で楽しい思いは3カ月くらいしかありません。
思い出すのは悔しさと後悔ばかり。私の人間形成に大きな影響を与えています。
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