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プロフィール

2007/3/20 火曜日

毎日新聞・読売新聞/One Block Project

創造エンジンで行ったワンブロックプロジェクトは主要紙に軒並み取り上げて頂きました。

【2007/3/5読売新聞地域版】


【2007/3/14毎日新聞地域版】

学生たちが企画したものの、足場作業などが危ないということもあり、私&山田が2F以上の作業をやるはめに。選挙前だというのに…。

<PS・追記>
記事中では「家は取り壊し予定」とありますが、その後、家の改築計画は取りやめとなっており、2009年の年末現在、まだこの鏡張りの家は利用中です。

2006/9/15 金曜日

映画製作を終えて、政治の季節

この2年ばかり、映画製作のことばかり考えてきました。 2年前に青年会議所の20周年実行委員長になり 監督と出会い、『芸術』を起点にした街づくりの構想で意気投合。

以来、プライベートの時間を全て費やしく突っ走ってきました。

企画は大成功。 映画「人生ごっこ!?」の出来は相当なもの。 私自身がびっくりするくらいです。 正直もう少し“自主制作”の色が出るかと思いましたが 劇場で見ても「市民参加」などとは気づかないレベルでしょう。

 

充実感とともに、最近は少し今後を考える時間が増えています。 この2年は、一人の市民という立場から 街を盛り上げ、子供に貴重な経験をする場を提供することを考えてきました。 「今後の東大和はソフト産業を育成するしかない」 「党派とか地域の垣根を越えて市民が一体となる場を作る」 「地域立地ではない、目的立地のコミュニティーをつくる」 こういった遠い理想の端緒として映画を位置づけ そのベクトルに少しでも近づけるようにしてきました。

必要なこととはいえ、回り道なのも確かです。 でも私は議員という立ち位置もある。 選挙まであと約7ヶ月。 特に市長選に関しては、ドラスティックに市が変わる可能性のある場面です。 今後の東大和はどうあるべきなのか? 今の市政は住民のポテンシャルを生かしているか? そういった部分を踏まえながら 私が出来ることをしなくてはいけません。

正直、政治というのは嫌な職業です。 本気であればあるほど、まじめであればあるほど 誰かと戦う場面が増えるのです。 個人的には平和に生きて行きたいと思っています。 でも、時にそれが許されないのが、この職業。 これから半年は戦う場面が増えるのでしょうか? それは自分に向いていることなのでしょうか? そんなことを最近考えています。

2006/8/11 金曜日

日経MJ/映画と地域特集

日経MJ新聞(流通新聞)の1面&4面に映画の取り組みに関するインタビューなどを掲載して頂きました。専門紙ながら全国紙の1面掲載でしたので、結構反響は大きいものでした。

私がなぜ地域で映画企画を考えたのかが、4面にコンパクトにまとまっています。

【2006/8/11日経MJ新聞1面・4面】

2006/7/25 火曜日

東京新聞/東大和で映画づくり

青年会議所20周年事業として、私が企画した「東大和映画まつりAction!!」「映画人生ごっこ!?製作」について取り上げて頂きました。 【2006/07/25東京新聞地域面】  この企画については、読売・朝日・産経さんにも掲載して頂いています。東大和にあまり良くないニュースが多い中、本当に感謝です。

 

★映画「人生ごっこ!?」予告編はコチラ↓

『映画「人生ごっこ!?」予告』(2006年7月29日配信)

2005/12/18 日曜日

2005年(平成17年)~ 街づくりプロデューサーとして


☆2003年 新堀夏祭りを立ち上げ
東大和第3小で行う夏祭りを企画・実行。自治会長・PTA会長・青少年対策第三地区委員会・そして校長・副校長と連携し、『地域みんなが顔を合わせる』ことを目指し実行委員会を組織。結果、毎年2000人近くに集まって頂く祭となりました。
☆2005年 NPO法人創造エンジン設立
芸術振興・起業支援・街づくりのNPOを友人と設立。夏祭りや選挙で同世代の友人に手伝ってもらっていたので、そのグループをまとめお互いの夢ややりたいことにノウハウを提供し合い助け合うための場としてのNPOを目指しました。美大卒の友人を理事長に、私は運営実務を担当する副理事長に。
☆2006年 映画「人生ごっこ!?」製作統括
青年会議所20周年実行委員長として、「東大和映画まつりAction!!」を企画・運営。その目玉事業の“住民参加でつくる映画『人生ごっこ!?』”においては、製作統括として現場を指揮しました。また、事務局に創造エンジンをつけ、その活動ノウハウをNPOとして継承をはかりました。

2003/8/8 金曜日

祈念日の被爆地を巡礼して

03年8月6日、私は被爆者でもある父の従兄弟と一緒に
広島平和記念公園に行った。

広島平和記念公園

今年の夏は梅雨が長かったせいか
照りつける太陽が例年より
一段強烈に感じられる。

集まってきた多くの人々の熱気で
さながら祭りのような
賑わいを見せている祈念公園。

その人いきれと喧騒の中で
私の親戚の言った言葉が耳に残る。

「被爆した多くの人にとっては、
今日は身内の誰かの命日じゃろ?

そっと家で冥福を祈りたい
そういう人も多いけん・・・」

公園の外では「小泉帰れ」のシュプレヒコール。
黙祷の間も残念ながらコールは続いた。

8月8日、原水禁の分科会を終え、
私は長崎市内のグラウンド・ゼロに行った。

グラウンド・ゼロ

1年程前、9月頃訪れた際はあまり人もいなかった広場に、
たくさんの客が来ていた。

普段見捨てられがちな場所が、
一年に一度、強烈な思いとともに
人々の視野に入る。

静けさを求める人へ敬意を
忘れてはならない。

が、それでも、
祈念日とそれに伴う喧騒は
なくてはならないものだと感じる。

この熱意こそ、風化を食い止め
将来につなぐ原動力となる。

旅行前は軽症だった足の擦り傷が
広島・長崎の日差しで膿んでしまった。
5㎝四方だけ無防備な神経が太陽に悲鳴を上げる。

当時の人々の痛みの針先ほどのほんの一端を体感し、心に刻む。

原爆で亡くなった人々の冥福を心より祈る。

2003/4/18 金曜日

2003年(平成15年) 統一地方選に立候補・最年少当選(25歳)

 

東大和市議会議員選挙に無所属で立候補し、1291票を頂き初当選。最年少の25歳でした。

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2001/8/18 土曜日

2001年(平成13年)~ 福祉の現場&フリーター&起業

☆ヘルパー2級を取得
母親がヘルパーだったこともあり、2001年、大学在学中に資格を取得。主に全身性の障害をお持ちの方のところへ伺いました。若い男には体力勝負の現場や夜間の現場が回ってくることが多いのですが、非常にいい経験でした。

☆様々なバイトでくいつなぐ
議員として立候補する気持ちを固め、大学卒業後、ヘルパー・回転ずし・カード会社営業などのアルバイトをしました。貧しかったけど、好き友人に囲まれ楽しい日々でした。

☆ヘルパー派遣会社を設立
2002年夏ごろ、福祉の理想が今の職場では実現しづらいことに悩む母に、「自分で会社つくれば?手伝うよ」と背中を押し起業しました。母が社長で現場・営業面を担当し、私が法人設立・許認可・総務・運営実務を担当しました。会社立ち上げから軌道に乗せるまでの約半年の経験は、私にとって非常にいい勉強となりました。