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私の気質の8割は高校野球でつくられました

私の中学・高校時代は野球漬けでした。
元々、小学校の頃から、サッカー・バスケ・剣道などをやっていましたが、当時はどうしても野球がやりたかったので、全くの未経験にも関わらず、中学からは野球を始めました。
 

この野球部時代、正直、6年間で楽しい思いは3カ月くらいしかありません。
思い出すのは悔しさと後悔ばかり。私の人間形成に大きな影響を与えています。

 
 

高校3年の時。最後の夏の大会直前で、お互い野球している写真がほとんどないことに友人が気付き、とってくれました。中高6年間、ほとんどユニフォームを着ていたのに、写真は6~7枚しかありません。
 
 
 
中2から中3にかけては、成長痛が悪化して一時歩けなくなり、皆が走り回る中、半年間“走らない”練習のみの別メニュ-。そのまま中学時代は終わりました。
皆がプレイする中、グラウンドサイドで見ていた、あの冬の寒さは未だにトラウマのようになっています。
 
 
中3の秋に高校の野球部の練習に参加し、「もうこれ以上、我慢したくない」と思い、勝手に走るのを解禁。久しぶりに走って辛かったけど、走れること自体が嬉しかった思い出があります。
 
 
 
でもその高校時代も、どうしても上手くいきませんでした。いい線いくのに、どうしても最後、いけてない自分がいました。言い訳をすれば、一番痛かったのは、高1の秋、レギュラー争いの中、デッドボールで指を潰してリタイアしたこと。ここから全ての歯車が狂いました。
 
勝負してダメならともかくも、土俵に立てない。その悔しさは堪らないものがあります。しかも中学時代に続き「またか」という思いもありました。とはいえ、そういった周辺環境も含め実力のうち。結局は下手くそだったということです。
 
その後は、練習試合で審判をやったり(審判技術が評価された?)
後輩の指導係とになってみたり(指導力が評価された?)
助監督としてベンチ入りしたり(ノック技術が評価された?)
内野手5人目の男として、全てのポジションの練習をしたり(打撃だけは評価された?)
3塁コーチャーとして公式戦出場(?)したり(グラウンドの監督として評価された?)
裏方の日々でした。
 
裏方としては高く評価してもらっているのはわかりましたがそちらの評価があればあるほど、プレイヤーとして試合にでづらくなる。そのジレンマに悩む日々でした。また、正直、プレイヤーとしての屈辱に耐える日々でした。控えめにみてもチームにプレイで貢献する余地はありました。
 
 
 
高2の冬。
私なりに区切りをつけ野球を辞めることを決めました。ところがその時、当時大学生のOBの方がわざわざ学校に来てくれ、私を呼出し「お前は辞めてはいけない」と説得してくれました。それで、もう一度、気持ちを改め、「レギュラー云々ではない、最後までやり切ることが自分のためだ」と恥を忍んで再びチームに戻りました。

そして高3の春。
唐突にポジションが一つ空きました。全くやったことのない外野でしたが、私は監督にやらせて欲しいと言いました。外野の控えもいましたし、下級生もいました。そのチャンスに割って入るのに気が引ける部分もありました。でも私は最後の最後、自分のエゴでポジションを奪いに行きました。

そしてこの外野転向がはまりました。
予想以上に私にとって外野手はやりやすいポジションでした。バッティングにも好影響がでました。結果を残せました。この時期の試合での打率は4割でした。スタメンで出るようになったこの3カ月は、心から野球を愉しめるとてもいい日々でした。

そして高3の最後の大会に初めてもらったレギュラー番号「9」。
ホントに嬉しかった。5年間が一挙に報われる思いでした。
頑張ってれば、続けていればいいことがある、と思った瞬間でした。

ところが、最後の最後に落とし穴がありました。
公式戦の約2週間前、朝練後、汗をかいたままエアコンの入る教室で居眠りをしてしまいました。そして軽い風邪、1日だけ微熱がでました。全て狂いました。中高通してたった2試合しかない私の野球人としての公式記録は4打数ノーヒットです。

 
 
人のポジションを奪ってまでとったレギュラーの座なのに、5年分の思いが詰まっていたはずなのに、最も大事な公式戦で、体調管理の問題で、全くチームに貢献できなかった。気をつけているつもりはありましたが、甘かった。

しかも、公式戦での敗因となった一つに、決定的な場面でのチームの走塁ミスがありました。
私の外野転向のあと、急きょ3塁コーチャーとなっていたチームメイトは、今でも、「あの時お前のミスが」と酒の肴になります。私は複雑です。笑い話の中でも、「自分のエゴが迷惑をかけたか?」と時々自問自答してしまいます。
 
 
 
 
土俵に立てない辛さも走れる喜びも
裏方でもらった評価もジレンマも
レギュラーとしての一瞬の喜びも、その後の苦い思いも
全て私の血となり肉となっています。

高校時代は野球一色で、日常生活の思い出はほぼありません。
グラウンドの記憶を通してのみ、高校生活が立体的になります。

当然今の私にとっても、高校野球の時代はかけがえのないもので
私の言動の深いところで影響を与えています。

今では、全てひっくるめていい思い出です。野球をやってよかったと心から思います。
でもヒット1本打ちたかったなー

高3の最後の夏の大会の写真。タイミングを狂わせてのファール。唯一の打席の写真…。

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